☆かすみんの小説置き場☆

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リクエスト小説
リクエスト小説②(一木チェコ様より)


本編

2009.12.11  *Edit 

 小さな町を通りかかったときだった。
 車やらビルやらが溢れている大きな町が増え、緑をあまり見かけなくなった中で、人間たちの世界からは「田舎」と称されるにふさわしい町だった。春のやわらかい日差しの中で、花々が、ふわりと揺れる。そんなのどかな風景の似合う町だった。
 なのに。
 大きなビルや大きな道路が見当たらないのに、人がたくさんいることに、リンは少し興味を持った。人がたくさん出てきている方向に、人ごみの隅のほうを移動する。
「ごめんなさい」
 リンにぶつかって謝る女性に、リンは、「気にしないで」と首を少しかしげる。しかし、そんなリンをよそに、女性は、きょろきょろと辺りを見回す。
「お母さん、どうしたの?」
「今、誰かにぶつかったような気がしたんだけど、気のせいだったのかしら」
 昔は、麒麟は人の目にも見えていたという。
 リンは、そう両親から聞かされていた。

「だが、今は、儂らの姿は人間たちには見えない」
「何故?」
「自然と一体化する術を、人間たちが忘れてしまったからだ」

 父との会話を、リンはふと思い出した。
 だから人間たちは、木を切り倒し、山を切り開いて、ビルを建てたり、道を作ったりするのだろうか……。
 いずれにしても、自分たちの存在が認めてもらえないというのは悲しいことだ。

 リンは、まだ若かった。麒麟は1000年生きるといわれる種族であるが、リンはこの世に生を受けて今日でちょうど10年になる。その10年の間に、人間たちの世界は色々変わっており、自分が生きている間にどれほど世界が変わるかということは、リンには全く想像がつかなかった。
 ぼんやりとそんなことを考えながら人の流れに沿って歩いていくと、『一木動物園』と書かれた看板が見えてきた。
「きりんさん、かわいかったねー!」
 動物園から出てきた幼い少女の言葉に、リンは、はっとした。
「そういえば、お母さんが、私たちと同じ名前の生き物がいるって言っていたっけ……」
 動物園とは、動物を紹介している場所であり、人間に見えないはずの麒麟がこんなところにいるわけはないと、リンは思い直した。しかし、同じ名前の生き物のことが気になった。
 リンは今日、10歳の誕生日を向かえ、ようやく、一人で外出することを許されたばかりだった。両親に付き添われて今まではあちこち見てまわっていたが、動物園があまり好きではない両親は、リンを動物園に連れてくることはなかった。
 リンは両親に心の中で謝りながら、動物園に足を踏み入れた。
 そして、両親が動物園のことをあまり好いていない理由が分かった気がした。大抵の動物が、檻に入れられている。優しい両親は、彼らが檻の中にいることは、窮屈だろうと想像したのだろうか。
『間もなく、閉園の時間です。まだ園内にいるお客様は……』
 閉園───そういえば、人間があまり見当たらないなと、リンは思った。おかげで、人間にぶつかることなく、動物園内を見てまわることができる。
 しばらく園内を歩いていると、草原を模した広場にでた。しかしながら、そこもぐるりと柵に囲まれていた。ぼんやりとそこを眺めていると、リンはふいに声をかけられた。
「おや、珍しいお客様だ」
 リンはびっくりして、転びそうになった。ぼんやりしていて気がつかなかったのだが、まさか、自分の姿を見ることができる人間がいたのだろうか。
「驚かせてしまったかね。申し訳ない」
 しかし、人間にしては、声のした方向が高すぎる。ふと声が降ってきた方向を見上げると、黒い2つの目が、リンを見下ろしていた。馬に似た風貌をしており、リンの父に似た2つの角が頭についている。そしてなにより、恐ろしく首が長かった。
「君は、麒麟だね。一度、会ったことがある」
「あ……、もしかして、あなたが、きりんですか?」
 きりんは、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「いかにも。わしはきりんだ。ここでは、りんたろう、と呼ばれておるがな」
 りんたろうと名乗るきりんは、にやりと笑った。
 そうなんですか、と答えながら、リンは、足の先から角の先まで、りんたろうを見つめた。
「珍しいかね? きりんはそこらへんの動物園にたくさんいるはずなんだが」
 りんたろうはリンの様子を面白そうに眺めながら言った。リンはりんたろうの言葉に、はっとした。じろじろ見ていては失礼だ。
「あっ、すみません。同じ名前なのに、姿は全然違うんだなって思って」
 リンは五色に光る自分の背毛をちらりと見た。体の色は同じ黄色だが、りんたろうの背毛は五色ではないし、顔はリンよりもずっと穏やかだ。麒麟の顔は狼に似ていて、馬に似た風貌のきりんとは、似ているとは言いがたい。
「君はまだ、子どものようだね。子どもといえども、わしより長生きかもしれんが」
「今日で10歳になりました」
 そうかそうかと、りんたろうは頷いた。
「わしと誕生日が同じなんじゃなぁ。わしは今日で27になった」
 きりんの寿命は平均25年と言われている。リンはそのことを知らなかったが、りんたろうが老きりんであることは何となく分かった。リンの知る年老いた麒麟のように動作がゆっくりだし、しゃべり方もゆっくりだ。
「動物園は初めてなのかい?」
 老きりんは、2つの黒い目でリンを見た。その瞳には、楽しそうな光が宿っている。久々に孫に会ったときの祖父母と同じ目をしていると、リンは思った。
「はい、今日、初めて来ました。同じ名前の動物がいるって聞いたから」
「なるほど。……して、動物園に来た感想は?」
 リンはゆっくりと辺りを見回して、りんたろうに視線を戻した。
「私の住んでいる森では、みんな自由に広い森を歩き回っています。でも、ここの方たちはみんな狭い檻に入れられたり、柵の中で暮らしたりしていて……。森に帰りたいって、思うことはないのですか?」
 りんたろうは、リンの目をじっと見つめた。そして、やわらかく微笑んだ。
「麒麟はみな、同じ質問をするのだろうか。以前会った麒麟も、同じようなことを言っていたよ。君の名前は?」
「リンと言います」
「そうか」
 りんたろうは少し悲しそうな表情で、小さく頷いた。
「どうかしたんですか?」
「いや、私の亡くなった妻も、りん、という名前だっただけだよ」
 リンは聞いてしまったことを少し後悔した。“亡くなった”という意味がリンにははっきりとは分からなかったが、それはとても悲しいもののような気がしたからだ。
 このままではいけないと、リンはあわてて口を開いた。
「そういえば、りんたろうさん以外に、きりんはいないのですね。みんな、森に帰っちゃったんですか?」
 このリンの言葉に、りんたろうは笑った。
 何かまずいことを言ってしまったのだろうかと、リンは心配になった。
「リン、君はどこで生まれたんだい?」
「ここからずーっといったところにある森で生まれたと聞いています」
「そうか。リン、わしはこの動物園で生まれたのだよ」
「……?」
 言葉の意味をつかみかねて、リンは小さく首をかしげた。
「君は、動物園に帰りたいと思うかね?」
「いいえ」
「それと同じだ。わしはここで生まれて、育った。だから、森を知らないのだよ。君が動物園に帰りたいと思わないように、わしも森に帰りたいとは思っていない。行ってみたいとは思うがね。動物園にきた君のように」
 全てを悟っているかのような穏やかなりんたろうの瞳を見つめながら、これは先ほどの質問に対する答えなのかもしれないと、リンは思った。動物園にいる動物たちは、森に帰りたいとは思わない……、いや、“思えない”ということではないだろうか。
 リンは、心がきゅっと締め付けられたような気がした。
「りんたろー、そろそろ小屋に戻ってくれー」
 その時、遠くのほうでりんたろうを呼ぶ声がした。りんたろうは、首をひねって、そちらの方を見た。
「そろそろ行かなければ。飼育員さんが呼んでいる」
「……シイクインさん?」
「リンのご両親のような人だよ、わしにとってのね。それじゃあね、リン」
 りんたろうはそう言い残すと、ゆっくりと“飼育員さん”のほうに歩いていった。リンは少し迷ったが、歩いていくりんたろうの背中に向かって叫んだ。
「りんたろうさん、明日もまた来ていいですかっ?」
 りんたろうは立ち止まり、首をひねってリンに向かって微笑んだ。リンも笑顔をりんたろうに返すと、身を翻して両親の元へと向かった。

 朝早く出掛けようとするわが子を、リンの母は呼び止めた。
「リン、そんなに急いで、どうかしたの? 何か面白いものでも見つけたのかしら」
 昨日から一人歩きを許されたということで、わが子がはしゃいでいるということは、母親には理解できるものだった。しかし、危ないものに興味を持っていやしないかと、リンの母は少し心配していた。
「はい、お母さん。友達ができたの」
「友達……?」
「うん。私たちと同じ名前なの」
 その言葉を聞いて、リンの母親は、父親のほうをちらりと見た。リンとの会話は、聞こえていないようだ。
「ひょっとして、動物園の動物こと?」
 リンは、しまった、と思いごまかそうと思ったが、ごまかす前に表情に出てしまっていたようだった。母親は小さくため息をついた。そして、苦笑する。
「何事も経験だから反対はしないけれど、お父様は動物園があまりお好きではないから、あまり話題にしないようにね」
「はぁい」
 リンは少し面白くなさそうに返事をすると、いってきます、と『一木動物園』へと向かった。

 春とはいえ、朝夕はまだ少し寒い。冷たい朝の空気を切りながら、リンはりんたろうのもとへと走った。
 早朝の『一木動物園』には、まだ客の姿は見えなかった。“シイクインさん”と同じ格好をした人々が、動物たちの檻の中を掃除している姿がちらほらと見える。
 リンはりんたろうの姿を探したが、まだ昨日の小屋の中にいるようだった。リンは柵を飛び越え、小屋の方へと向かう。小屋の中へ入ろうとして、リンはふと足を止めた。中から、人の声がする。昨日の飼育員さんだろうか。
「先生、りんたろうの具合は……」
 人間には姿が見えないことを分かってはいたが、リンはさっと身を隠した。先生、と呼ばれた人間が、小さくため息をついたのが聞こえた。
「もう、りんたろうも歳だ。この調子じゃあ、この夏を越せるかどうか」
「そうですか」
 二人は何かを話しながら、小屋の奥の方にある出口に向かっていった。リンは、その場にぼーっと突っ立っていた。
 寿命の長い麒麟の死には、めったに出会うことはない。ましてやまだ10歳という若さのリンには、“死”という概念は、ピンとこなかった。けれど、さきほどの人間たちのやり取りを見ていて、リンはなんとなく、恐ろしいものにりんたろうが蝕まれているのではないかと思った。
 リンはそろりと小屋の中に足を踏み入れた。心なしか、外よりも暖かい。風が吹いていないためだと、リンは思った。
 藁がたくさん敷き詰められた上に、りんたろうが横たわっていた。リンはその前に、静かに座った。ふと、りんたろうの目が開いた。
「ああ、リンか……。おはよう」
 老きりんは、嬉しそうに笑った。その顔を見ていると、りんたろうが何か恐ろしいものに蝕まれているという考えは、どこかに行ってしまった。しかし、少し具合が悪そうなのも事実だった。寝起きのせいもあるのかもしれないが、声が心なしか弱弱しい。
「おはようございます。りんたろうさん、具合が悪いんですか?」
「あぁ、もう、歳だからね。それは、良く分かっているんだ。もうすぐ、迎えが来る」
「迎え……?」
 りんたろうは、静かに目を閉じた。
「わしにも、分からん。あるいはリン、君なのかもしれないね」
 そのままりんたろうは、また眠りに落ちたようだった。
 リンはしばらくりんたろうを眺めていたが、邪魔になるかもしれないと思い直し、小屋を出た。朝の光が、リンを迎えた。
 柵の前に、りんたろうが今日は具合が悪くて小屋の中で寝ているという旨を書いた紙を貼り出している飼育員さんを横目に、リンは動物園を後にした。

 両親の元へ戻ると、母親は散歩に出かけており、草原の真ん中で日差しを浴びながら寝そべっている父親だけがいた。
 リンよりも遥かに立派な五色の背毛が、日に照らされてキラキラと光っている。見慣れた光景のはずなのに、リンには、そこだけが、なんとなく別世界のような気がした。薄暗い小屋の中にいたせいかもしれなかった。
 リンの父は、自分の娘がぼーっと突っ立っていることに気がつき、首を上げた。
「そんなところに突っ立って、どうした」
 父の質問には答えず、リンは父親に向かって突進した。自分の力では、父親を数ミリだって動かせないことは分かっていたが、なんとなく、そうしたい気分だった。
 リンのそういう気分はお見通しなのか、リンの父は向かってきたリンを軽く受け止める。そのまま、子犬がじゃれあうように、2匹の麒麟は草原の中を転げまわった。不審に思ったのか、木々の合間から、野うさぎや小鳥たちがじっとリンたちを見つめている。
 軽く父親に投げ飛ばされ、リンはやわらかい草の上に着地した。着地というよりも、落っこちたという表現の方が正しいのかもしれない。
 だいぶ高くなった太陽の光を浴びながら、リンは投げ出された格好のまま、空を眺めた。ゆっくりと雲が流れ、時々、頭の上を飛んでいく鳥たちの影が落ちてくる。
 その時、ぬっと目の前に父親の顔が現れ、リンはびっくりして飛び起きた。そんなことなどお構い無しに、リンの父は、その場に腰を下ろした。リンも、その隣に座る。
「ねぇ、お父さん」
 時折風に揺れる花を見ながら、リンはふと口を開いた。
「うん?」
「“亡くなる”って、どういう意味かな」
 リンの父は驚いた風も無く、そうだな、と言った。
「リンは、どう思う」
 逆に問われ、リンは、父の顔を見た。
「私は……」
 リンは一度言葉を切り、そして続けた。
「何かの病気みたいに、からだを蝕んでいくような、なんか怖いものだと思う」
 父親は、そうか、と小さくつぶやいた。
 どこか遠くを見つめながら、リンの父はしばらく黙っていた。何か言葉を探しているようにも見えた。
しばらくして、穏やかな声で、父はわが子に語りかけた。
「リン。儂らがこうやって、毎日暮らしているということは、どういうことか分かるか?」
「……?」
「『生きている』と言うのだよ」
「生きている……」
「そうだ」
 リンに微笑を向けながら、父親はゆっくりと頷いた。
「そして、亡くなる、というのは、その逆だ」
「暮らしていけなくなるの?」
「まぁ、そういう考え方で間違ってはいない。亡くなる、ということは、死ぬということだ。リンもうさぎや小鳥たちの死に出会ったことがあるだろう」
「あ……」
 力なく地面に横たわっていた小鳥の姿がよみがえる。なぜ動かなくなってしまったのか、幼かったリンには理解できず、けれど、ものすごく悲しい思いをしたことは良く覚えていた。その時に、これは“死”なのだと、今と同じように父に教えられたのではなかったか。
 その時ふと、小屋の中で静かに眠っていたりんたろうのことを思い出した。りんたろうも、あの小鳥のように、冷たくなってしまうのだろうか。そう思うと、リンはいてもたってもいられなくなり、思わず立ち上がった。
「お父さん、私、いってくる」
「リン」
 父親の声に、走り出そうとしていた足をとめる。父親は、空を見上げていた。
「生と死は、この世に生きているもの全てに、等しく与えられたものなのだ。全てに、例外もなく。だから、恐れるものではない。誰にでも訪れるものなのだよ」
 そんなこと言われたって。
 リンは心の中でそう呟くと、いってきます、と父の元を後にした。

 再び小屋を訪れたとき、りんたろうは起き上がり、ゆっくりと食事をしているところだった。それを見た自分が少しほっとしているということに、リンは気がついた。
「おや、リン。いらっしゃい」
 今朝と変わらない声が、リンの名前を呼んだ。
「こんにちは。りんたろうさん、もう具合はいいのですか?」
「万全とは言わないが、今朝よりは良い。心配してきてくれたのかい?」
 こくりと小さく頷くリンに、りんたろうは微笑んだ。
「優しい子だね。ありがとう」
 リンは頬を赤らめながら、いいえ、と小さな声で答えた。
「あの、りんたろうさん」
「何だい?」
「明日も来ていいですか?」
「もちろん」
「あさっても、その次の日もきていいですか?」
 りんたろうは、くすりと笑って答えた。
「リンが好きなときに、いつでも遊びにおいで」
 老きりんの言葉に、リンは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます! じゃあ、また明日来ますね!」
 そう言って、リンは小屋の出口へと向かった。
 日の光の中を駆けていく子麒麟を見つめながら、りんたろうは目を細めた。

 それから毎日のように、リンはりんたろうの元へと遊びに出かけた。
 大雨や大風の日は心配する母親に足止めを食らったが、そんな日以外は、リンは毎日一木動物園へと足を運んだ。まだ客がいない朝と、客が帰った夕方に、リンは顔を出した。
 りんたろうは、動物園という限られた環境にいながら、いろんなことを知っていた。自然に関することはリンも負けていなかったが、人間に関しては、りんたろうのほうがずっと良く知っていた。
「人間たちは、そういうのを『年の功』というらしい」
 そう、りんたろうは笑っていた。
 りんたろうとの会話が楽しいのも、リンが毎日のように訪れる理由ではあったが、もう一つ、リンには理由があった。
 あの草原での父親との会話を、リンは忘れることができないでいた。
 等しく与えられるもの。
 だとしても、りんたろうが目の前からいなくなるのは嫌だった。こうしてリンが遊びにくることで、“死”がどこかにいってしまうというわけではないということをリンは分かっていた。たとえ、りんたろうが死んでしまっても、人知れず生を終えたあの小鳥のようにはなってほしくはなかった。

 春が過ぎ。
 梅雨を迎え。
 夏が来た。
 日に日に暑くなっていく夏のある日、りんたろうが体調を崩した。夏の暑さにやられたのだと、りんたろうは弱弱しく苦笑した。
 よく体調を崩すようにはなっていたが、一週間もすれば元気になっていた。だから、今回もそうなのだろうと、リンは思っていた。しかし、一週間たっても、りんたろうの体調は良くならない。りんたろうを診察に来る「先生」も困っている様子だった。
「やはり、この夏を越すのは無理だな」
 小さなため息とともに、先生は呟いた。飼育員さんも、そうですか、と力なく答える。
「今年の夏は特に暑いらしいですからね。あまり無理をさせず、安静にしておくことが今のりんたろうには大事でしょう」
「分かりました。先生、どうもありがとうございました」
 いつもは先生を見送っていく飼育員さんだったが、今日は先生に向かって深々と頭を下げ、先生が小屋から出て行くのを見送っていた。
「りんたろう、今はしっかり食べて、しっかり療養しような。お前のことが大好きな子どもたちのためにもな」
 飼育員さんはそう言って、りんたろうの腹の辺りを撫でた。りんたろうも、それに反応するように、片方の耳をぴくりと動かした。飼育員さんは小さく頷くと、またくるから、と言い残して小屋を去っていった。リンはそんな飼育員さんの様子を、じっと見つめていた。
 その後、りんたろうは回復したりまた体調を崩したりということを何回か繰り返していた。体調の良いときは、少しの時間外へ出て、子どもたちの歓声を浴びていた。そのときのりんたろうの表情は生き生きとしていて、小屋の中で寝ている老きりんなど想像がつかないほどだった。今まで朝夕だけに遊びに来ていたリンは、今ではほとんど一日中、りんたろうのもとを訪れていた。

「リン、わしを心配してくれるのは嬉しいんだが、そんな四六時中わしのところへ来ていて、ご両親は心配しないのかね」
 そんなある日、閉園を向かえ静かになった一木動物園の小屋の中で、りんたろうはリンに問うた。父親はそうでもないが、母親はあまり良い顔はしていなかったのは事実だった。
「大丈夫です。だって、もう、一人で外出するのは許されてるんですから」
 リンは小さく胸を張った。そうか、とりんたろうは笑った。
「リン」
「はい?」
「君はわしとはじめて会ったとき、森に帰りたくは無いのかと、聞いたね」
 リンは小さく頷いた。
「ここで生まれたから、とりんたろうさんはおっしゃっていましたよね。あの時は良く分からなかったのですけど、今は、少し、分かるような気がします」
「ほう……?」
「りんたろうさん、人間、特に子どもたちと接している時、本当に楽しそうなので」
 リンはその時の様子を思い出して、くすりと笑った。
ははは、とりんたろうは少し照れたように笑った。
「実を言うと、わしも昔は、ここから出て行きたいと思ったことはあったんだよ」
「えっ」
「若かったからね、今の君のように。いろんなことに興味があったんだ」
 りんたろうはそう言って、遠くを見た。
「そんなとき、あるおじいさんに会ってね。あまりお客さんが来てない日で退屈していたから、わしはそのおじいさんの話を聞くことにした。そのおじいさんは、動物園に生まれて初めて来たと言っていた」
「おじいさんなのに?」
「何か事情があったんだろうね」
 リンの言葉に、りんたろうは頷いた。
「長い間生きてきて、いろんなことを知っているつもりだったけど、お前みたいな首の長い動物を実際に見たのは初めてだよ───そう、おじいさんは笑っていた。自分のことを、まだまだ井戸の中の蛙だったなと言っていた」
「井戸の中の蛙……?」
「リンは、井戸を見たことがあるかい?」
 そう問われて、リンたち家族がねぐらにしている森に、古びた井戸があったのをリンは思い出した。
「円くて深い穴ですよね?」
「そうだ。井戸の底から空を見上げると、どう見えるとリンは思うかね?」
「うーん、円くしか見えない気がします」
 りんたろうはリンの答えに満足したように頷いた。
「つまり、井戸の中の蛙には、井戸の中の世界が全てであって、その他のことを知らないっていうことだ」
 ふぅん、とリンは相槌を打つ。
「そしておじいさんがここに来て何日か後、麒麟に出会った。リンよりもずっと年上の麒麟だろうね」
「そういえば初めてあったとき、前にも麒麟にあったことがあるっておっしゃってましたね」
 りんたろうは静かに頷いた。
「わしが動物園から出たいと思っていたことを知っていたようだったのう。その麒麟は、ここから出たいかとわしに聞いた。だがわしは、あのおじいさんの言葉を思い出していた」
「井戸の中の蛙?」
「うん」
「でもそうだとしたら、りんたろうさんはもっと色々知りたくて、外に出たかったんじゃないんですか?」
「確かに動物園以外のことは何も知らなかった。だけどね、リン。この動物園に来てくれる人々の笑顔を、わしは誰よりも良く知っていたんだ」
 そう言ってりんたろうはにっこりと笑った。
「わしの居場所があるとしたら、この一木動物園のきりんコーナーだと、そうその麒麟に伝えた。そうしたらその麒麟は静かに去っていったよ」
 ここが自分の居場所だと語るりんたろうの表情が誇らしげで、リンはなんとなく嬉しかった。
「誰しもどこかに居場所はあるものだ。リン、君が一人歩きを許されたということは、ご両親の側以外に、どこか居場所を見つけなければいけない時期がきているということだろうね」
「うーん……。まだ想像がつきません」
「恋人ができれば、また違ってくるだろう」
「まだ、ずーっと先のことだと思いますけど」
 リンとりんたろうは顔を見合わせて、笑った。子どものリンには恋人とか自分の居場所とかということはまだまだ分からなかったが、今、もし両親の側以外で居場所があるとしたら、りんたろうの側だろうと思った。
「りんたろうさん」
「うん?」
「りんたろうさんの代わりに、私が色んなところに行って、いろーんな物を見てきますね」
「ははは、そうかそうか。土産話、楽しみにしているよ」
 りんたろうは嬉しそうに笑った。
「おや、長い間話し込んでしまったようだね。そろそろ帰らないとご両親が心配する」
 いつの間にか、小屋の中が薄暗くなっていた。「あ、いけない!」とリンも慌てて立ち上がる。
「それじゃあ、りんたろうさん、また明日! おやすみなさい」
「うん、おやすみ、リン。気をつけて帰るんだよ」
 はい、と言ってリンは小屋を後にした。
「遅くなっちゃったなぁ……。お母さんにまた怒られそう」
 満月の夜の中、リンは急ぎ足で両親の元へと戻った。

 翌日は、久々の雨だった。夏の空気で乾いた地面が、嬉しそうに雨を受け止めている。
 リンの心も沈んでいた。昨日あまりにも遅く帰ったせいで、今日は外出禁止処分を食らっていた。
「一人歩き、許してもらえる歳なのに……」
 雨を避けて、木陰でリンは寝そべっていた。
「まだ私の居場所は、お父さんとお母さんの側なのかな」
 昨日のりんたろうとの話を思い出しながら、リンは降りしきる雨を見つめていた。そして、井戸の中の蛙のことを考えた。一日中、同じ景色ばっかりで、退屈ではなかったのだろうか。
「でも、そこがその蛙の居場所だったのか」
 その井戸の中は確かに狭かったのかもしれないけれど、きっとその井戸のことを蛙は一番よく知っていたのだろう。動物園に来る子どもたちの笑顔を、りんたろうが一番よく知っていたように。
「りんたろうさんは、森に帰りたいとは思わないけど、行きたいって言ってた。ならやっぱり、蛙も退屈だったのかもしれないなぁ」
 だから私が色々話をしてあげるんだ。
 物知りなりんたろうに、りんたろうが知らないことを話す自分を想像して、リンはちょっと得意になった。
「早く遠くに出かけられるようになりたいなー」
 リンのそんな呟きをかき消すかのように、雨が強くなる。さらに、遠くで雷の音もしてきた。
「今日の空はご機嫌斜めみたいね」
 リンは小さくため息をついた。まだ雨はやみそうにない。

 翌日、昨日の大雨が嘘のように、快晴だった。
 今日は遅くならないようにと母親に念を押されて、リンはいつものように一木動物園へと向かった。昨日の雨の名残で、今日はいつもより蒸し暑い日だった。朝早いというのに蝉の鳴き声がもう聞こえる。昨日の雨への八つ当たりだろうか。
 いつものように動物園に入り、いつものようにりんたろうの小屋を目指す。
 小屋にたどり着いたとき、リンはいつもと違う様子に首をかしげた。小屋の中にも外にも、りんたろうの姿が見当たらない。いつも小屋を掃除している飼育員さんもいない。
 リンは動物園内を回ってみることにした。しかしどこにもりんたろうの姿はない。だんだんと嫌な考えがリンの中でふくらんでいく。
 祈るような思いで園内を回っていると、りんたろうの飼育員さんが、他の人間と話をしているのを見つけ、リンはそっと近づいた。近くの建物の影から、耳をそばだてる。
「りんたろうのことなのですが、やはり、一般の方にもお別れ会というのを開いてやりたいんですが……」
「そうですね。りんたろうは子どもたちに人気だったし、うちの顔でしたからね」
「はい」
 飼育員さんは、もう一人の人間の言葉に頷いた。
「長い間、りんたろうの世話役をしてくださっていたので、りんたろうの死は堪えるでしょうが、あまり無理はなさらないでくださいね」
「ありがとうございます」
 それではまた後ほど、と飼育員さんともう一人は別れた。
 二人が去っていった場所で、リンは呆然としていた。
さっき、あの人間はなんと言った?
 りんたろうの死と言わなかったか?
「りんたろうさんが、死んだ……?」
 おととい、話をしたばっかりなのに。
 あんなに誇らしげに笑っていたのに。
 リンは飼育員さんを追いかけた。そして、前方を歩く飼育員さんを見つけ、背後から叫んだ。
「飼育員さん、りんたろうさんが死んだって本当なの?」
 飼育員さんはリンに気づかず、歩いていく。
「おととい、あんなに元気だったし、私と笑って話してたのに、ほんとにもういないの? ねぇ、飼育員さんってば!」
 人間に声が届かないのが悔しかった。
 事実を教えてほしかった。
 けれど一番聞きたい答えは、その事実が嘘だということだった。
 いつの間にか、飼育員さんとリンは、りんたろうの小屋の前まで来ていた。飼育員さんは少し迷ってから、小屋の中に足を踏み入れた。リンも、そろりと小屋に入る。
 りんたろうがいつも寝ていた場所の柱に手をかけ、飼育員さんは、じっと寝床を見つめていた。
「あれだけ頑張っていたのに、呆気ないもんだね……」
 飼育員さんの言葉にリンははっとしたが、リンに話しかけているわけではなさそうだった。
「ここに来てお前がいないと、やっぱり、りんたろう、お前はもういないんだということを思い知らされるよ」
 飼育員さんの頬を涙が伝う。
 それが事実なのだと、リンは悟った。


───もう、りんたろうさんはいないんだ。


 この小屋にも。
 外の草原にも。
 動物園の中にも。
 リンの目の前にも。
 リンは小屋を飛び出した。
 何も考えずに、森へと戻った。すると、あの日と同じように、父親が草原の真ん中で寝そべっていた。リンは、父の背中に顔を押し付けて、泣いた。
 リンを見つめる優しい瞳が好きだった。
 子どもたちを見つめる穏やかな笑顔が好きだった。
 あの誇らしげな表情が好きだった。
 約束したのに。
 私がいろんなものを見てくるって約束したのに。
 それを待たずに、いってしまった。
 何よりも。
 いってしまう前に、会えなかった。
 あの小鳥のようになってしまうのが嫌だったのに。
「私は、何もできなかった」
 リンの父は、リンに頭をすり寄せた。リンは涙でぐちゃぐちゃになった顔で、父を見つめた。父親は微笑むと、静かに口を開いた。
「昔、あるきりんに出会ったことがあった。そのきりんは、動物園から出たそうにしていたから、儂は、ここから出たいかと問うた。だが、そのきりんは、ここが自分の居場所だからと答えていた」
 蒸し暑い風が、リンと父の背毛をなでていく。
「先日、そのきりんに久々に会いに行った。するとそのきりんは、ここが自分の居場所であるのには変わりがないが、退屈だと思う日もあった。そこに、話し相手ができて、今は充実した日々を送っていると、嬉しそうに笑っていた」
「……りんたろうさんが言ってた麒麟は、お父さんだったんだ」
 リンの言葉には答えず、リンの父は微笑んだ。
「生きているということはそれだけで、何かをしているということだ。何もできなかったというわけではない」
 父親はそこで一度言葉を切り、続けた。
「生きている限り、死は訪れる。それは誰にも曲げることのできない事実だ。だが、リン。お前の心の中に、そのきりんは、生きているのではないか?」
 言われて、リンは、はっとした。
 りんたろうの顔や声、りんたろうとの会話。
 それらをリンは鮮明に思い出すことができた。
 それが、生きているというのなら。
「……うん」
 リンは小さく呟いた。

 数日後、一木動物園で、りんたろうのお別れ会が開かれた。多くの子どもたちが、りんたろうの写真の前に花を供えにきていた。りんたろうがどれだけ愛されていたのかを、リンは遠くで見つめながら改めて知った。
「リン」
 ふと名前を呼ばれ、リンはそちらを振り返った。
「お母さん!」
「驚かせてしまったかしら」
 リンの母はそう言って、リンの隣に並んだ。
「どうしてここに?」
 リンの質問には答えず、リンの母は微笑んだ。
「リン、あなたは何故、私たちが動物園があまり好きではないか知っている?」
「動物たちが檻に入れられているからじゃないの?」
「そうね。それもそうだけれど……」
 リンの母は、りんたろうの写真の方に視線を移した。
「ここは、いのちの移り変わりが、はっきりと見えてしまう所だから。数年後に来たら、動物が変わっていることなんて、良くあること」
「うん。でも……」
 りんたろうのように、その生を全うする動物がたくさんいるということだろう。けれど、とリンは思った。父のことばを思い出していた。
「ここに、りんたろうさんは、今でも生きているから」
 リンは心臓の辺りを指した。
それを見て、そう、と母親はにっこりと笑った。
「あなたのお父様も、最近、同じ事を言っていたわ」
 父には、リンの父のような存在がいなかったのかもしれない。だから、長い時間をかけて、自分で答えをやっと見つけたのかもしれないとリンは思った。
「私は帰るけれど、リンはどうするの?」
「うん……。私もそろそろ帰る」
 歩き出した母親の後ろにくっついて、リンも歩き出した。
「また遊びに来てもいいですか?」
 りんたろうの写真に向かって、言ってみる。

───リンが好きなときに、いつでも遊びにおいで。

 いつかの、りんたろうの言葉。
「ありがとうございます」
 リンはそう呟いて、動物園を後にした。

***

「ねぇ、お母さん。でも、おじいちゃん、動物園嫌いだったんでしょう。なのにどうしてりんたろうさんのこと、知ってたのかな」
 自分を見上げる小さな2つの瞳を見ながら、リンは微笑んだ。
「おばあちゃんと同じように考えていたみたいよ」
「ふぅん……?」
「私たちは長生きでしょう? だから、他の生き物と仲良くなってしまうと、その生き物が死ぬのを見送らなくてはいけないから」
「そっかぁ、友達がどんどんいなくなっちゃうのは悲しいものね」
 子麒麟は、そう言って少し悲しそうな顔をしたが、あ、でも、と何かを思いついたように自分の母親を見上げた。
「ここに生きてるって知ってるから、ぼくは悲しくないよ!」
 自分の心臓の辺りを指しながら、子麒麟はにっこりと笑った。
「……うん、そうね」
 リンも、笑顔で返す。
「じゃあ、ちょっと出かけてくるね」
「うん、気をつけていってくるのよ。あまり遅くならないように!」
 はーい、という元気な声が、みるみる遠ざかっていった。
 リンの息子も、最近、10歳になった。あの時のリンと同じ年齢だ。
 あの時の経験が今の自分の生き方に大きな影響を与えていると、リンは感じていた。だからこそ、わが子にもそのような経験をしてほしかったが、それと同時に、あのような悲しい経験をさせたくなかった。
「でも……」
 井戸の中の蛙であっては欲しくなかった。それは親としてのわがままなのだと、リンは分かっていた。そして、そのことに苦笑する。
「恋人ができたら、なんて、りんたろうさんと話していたっけ」
 恋人どころではなく、夫がおり、そして子どもがいる。
 この姿を見たら、りんたろうさんは何て言うだろう。
 そんな考えが浮かんでしまうのは、りんたろうがこの世を去ったと知ったあの日の空と同じように、すっきりと晴れた夏の日だからなのだろう。
「りんたろうさん、私、居場所を見つけましたよ」
 聞こえるはずがないのに、そう、空に向かって呟いてみる。
 そんなリンの声を夏の熱い風がさらっていった。
 今日も暑い日になりそうだ。
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